常陸山の渡米(その2)

横綱常陸山の渡米には思わぬ方面の援助があったようで、

 

 先生の角力に対する趣味は妙な動機から起つた。友人笹川三男三は先生が独逸から帰つた後の交友であるが。一日何かの用事で訪ねて来たのを迎へて、先生は憂愁に閉された彼の顔色を見て其の理由を尋ねた。笹川は人に知られた好角家である。殊に彼は大の常陸山贔屓であるが、その当時常陸山の洋行問題が心配してゐる旨を話した。之を聞いた先生は一度常陸山に遇うて見ようと案外の厚意を示されたので、笹川が案内役となり、先生と常陸山との会見となつた。尤もその当時両者は鬱勃たる覇気に燃ゆる時代で、初対面と思はれぬほど互の意気は相投合したものである。先生は『苟も日本の台力士として洋行する以上、紳士的態度で行動すべく、断じて興行などをしてはならぬ。洋行費の如きは自分が総て引受けるであらう』と即座に約束し、先づ私財を投じ、また友人の塩原又策等を説いて出資せしめ、又紐育の高峰博士に依頼して遂に常陸山をして洋行の目的を達せしめた。

 

笹川三男三は「ささがわ・みおぞう」で医学博士、医師、赤線検温器株式会社の社長で、これは現在のテルモの前身にあたる。

塩原又策は三共株式会社、いまの第一三共創始者

高峰博士は高峰譲吉アメリカ在住の医学者。胃腸薬タカジアスターゼの発明は有名で、胃弱であった漱石もこれを服用していたのではなかったか。少なくとも、苦沙弥先生は服んでいる。

 

 吾輩の主人は滅多に吾輩と顔を合せる事がない。職業は教師だそうだ。学校から帰ると終日書斎に這入ったぎりほとんど出て来る事がない。家のものは大変な勉強家だと思っている。当人も勉強家であるかのごとく見せている。しかし実際はうちのものがいうような勤勉家ではない。吾輩は時々忍び足に彼の書斎をいて見るが、彼はよく昼寝をしている事がある。時々読みかけてある本の上にをたらしている。彼は胃弱で皮膚の色が淡黄色を帯びて弾力のない不活溌な徴候をあらわしている。その癖に大飯を食う。大飯を食ったでタカジヤスターゼを飲む。飲んだ後で書物をひろげる。二三ページ読むと眠くなる。涎を本の上へ垂らす。これが彼の毎夜繰り返す日課である。吾輩は猫ながら時々考える事がある。教師というものは実になものだ。人間と生れたら教師となるに限る。こんなに寝ていて勤まるものなら猫にでも出来ぬ事はないと。それでも主人に云わせると教師ほどつらいものはないそうで彼は友達が来るに何とかかんとか不平を鳴らしている。(『吾輩は猫である』の「一」)

 

タカジアスターゼの日本側の輸入代理店をしていたのが塩原又策で、だから第一三共では今もその流れをくむ「新タカヂア錠」を販売している。

そして冒頭の引用に登場する「先生」とは、北里柴三郎。新しい千円札の顔。日本近代医学の偉人。ノーベル賞候補。その北里柴三郎常陸山渡米に資金面で援助し、高峰譲吉アメリカ滞在中の便宜を依頼した。引用元は、宮島幹之助・高野六郎編『北里柴三郎伝』(発行:北里研究所 発売:岩波書店 昭和7年)。その続き。

 

爾来先生は常陸山贔屓となつて毎回の大角力には欠かさず見物し、一時は常陸山部屋の力士等は北里邸に出入して、随分世話になつたものである。流石に剛毅の常陸山も先生の前には一小力士の如く至て柔順であつた。常陸山の引退と共に、先生の角力に対する興味も薄らいだものと見え、遂に国技館にその姿をあらはさぬようになつた。常陸山の存命中は勿論、歿後も先生は彼の家族を世話し、再び彼の如き力士を見ることはできなくなつたと非常に惜しまれた。

 

渡米に際してばかりでなく、部屋の力士や没後の遺族の世話をしている。

いわゆるタニマチというやつである。

タニマチという言葉は「相撲界で、力士の後援者、贔屓筋のこと。明治末年に大阪谷町筋の相撲好きの外科医が力士から治療代をとらなかったことからという」と広辞苑にある。医者医学と相撲取りとは相性がいいのだろうか。

話を戻して、常陸山の洋行が決まり、壮行会が行われた。何度か行われたようである。そのエピソードのひとつをサンフランシスコの邦字新聞「新世界」が伝えている(明治40年8月24日付)。

 

常陸山餞別譚

一昨廿二日シヤトル着港の加賀丸にて渡米したる常陸山の留送別会には種々の珍談ある中に新様唯一の割烹店花月に於て常陸山自身橋南橋北の名妓をズラリと並べて留別の盃を汲み換したるが誰云ふとなく常陸が米国にて抓喰でもして花柳病を背負つて来てはいけませんと戯談半分に忠告せしものありしが馬鹿を云へと例の豪放なる態度にて聴流せしが其翌朝花月女将、ちやら次、さとの三名にて恭しく熨斗水引を懸けし包に御餞別と記し贈り越しより常陸は女房のお愛とともに披き見れば大々的ルーデサツク三個ありしより一杯舁ぎやがつたと一同笑に終つたりと。

 

女房といっしょに開いて見た、というのだから洒落にしてはキツい。

が、それで夫婦仲が揉めるでなく、一同笑って終わるあたりが常陸山の艶福家らしいところか。

新橋花月楼の女将は好角家で、常陸山のご贔屓筋でもあったが、話はそれで終わらない。