常陸山の渡米

19代横綱常陸山谷右衛門は明治40年に渡米している。

今のように日本相撲協会の正式な海外巡業ではなく、常陸山個人での渡米で、しかも渡航中の場所を休場するというので、協会はこれに難色を示したようだ。

当時の新聞記事にも、

 

常陸山谷右衛門が渡米に就いて、従来協会側より種々喰い止め策をなしたるも、常陸山は断固として初志をかえざりしため、ついに協会側の失敗に終わり、既報のごとく、いよいよ昨朝午前八時十五分新橋停車場を出発したるが、常陸山の当日の服装は、セル地鼠色格子背広を着し、パナマ帽をかぶり、便々たる腹をつき出し、見送り人に対し一々愛嬌をふりまき談笑に暇なかりしが、見送り人中にはおちかを初めその他四、五人の婦人も見え、力士側には雷権太夫高砂浦五郎、各年寄、検査役及び在京力士、行司、相撲茶屋一同、紳士側には衆議院議員奥野市次郎、本所警察署長警視鮫島斉之助、警部川上彦一、高橋義信氏等始め各新聞通信記者、落語家等五百余名にして、場内は人を以つて埋められすこぶる雑踏を極めたるが、横浜波止場まで見送りしものも少からざりき。(明治40年8月6日読売)

 

常陸山は意志を貫き渡米は実現する。

見送りは盛大だったようだ。

「おちか」はじめ四、五人の婦人というのは藝者のことだろう。さらには代議士、警察署長までが見送りに出ている。新橋駅に五百人をこえる見送りが集まったというあたり、この力士の人気のほどが知れる。

それから五年ほどして、同じく洋行のために新橋駅を発ったのが島崎藤村である。

藤村の場合はアメリカではなく、フランスで、しかも洋行の原因が、姪に手をつけたことからの逃走だという。

上司小剣が、『小ひさき窓より』(大同館書店 大正4年)所収の「隠遁の貴族」に書いている。

 

▲先頃島崎藤村氏がフランスに行かれるのを送つて、新橋ステーシヨンに行つた時、そう思つた。日本の文学者は伝来の隠遁空気に包まれている。其処が面白いと。

 

島崎藤村の渡仏が日本文学者伝来の隠遁なのか、醜聞からの逃亡だったのか、はたまた自責の念からの衝動だったのかはわからないが、そのとき新橋駅に集まった見送りは百名足らずだったそうだ。

 

▲裸体踊りの大将常陸山谷右衛門の洋行には、馬車も出た、自動車も来た。警吏の護衛もあつた。ステーションでは駅長も出て、案内するといふのではなかつたらうが、いろいろの指揮をした。見送りは千人にも及んで、プラツトフオームは人で埋まつたと聞いてゐる。文壇の大家島崎藤村氏の外遊に際しては、田舎のお伊勢詣りの見送りのやうで、常陸山の百分の一の景気もなかつた。ステーシヨンの役人は島崎氏一人に対して、特に何うするといふこともなかつた。恐らくはそんな乗客があるといふ事すら知らなかつたのであらう。其処が隠遁者の、或る意味に於ける貴族的の、面白い点であらうと思ふ。

 

このときの藤村の服装は「中折帽に背広服といふ純平民の装ひ」で、上司小剣はそれを「服装は平民的、或は賤民的でも思想は大貴族である。其処が隠遁家の特色とでもいふべきものであらう」とする。藤村が貴族なのか、隠遁家なのかは別にして、本来なら「紋付き袴」が正装の横綱常陸山が「セル地鼠色格子背広を着し、パナマ帽」というのが対照的である。

 

ちなみに常陸山よりも前に渡米を計画した力士がいた。明治37年の源氏山一行がそれだったが、このときはパスポートがおりなかったようだ。その理由が「元来米国と本邦とでは風俗習慣を異にし、我が邦にては今日なお非常に相撲を愛するの傾きあれど、かの国にはこれに類似したるものは、一の拳闘あるのみにて、殊にその拳闘はひとり下流の間に弄ばるる賤技なれば、我が邦の相撲のごときも、或いはこれと同一視せらるるものとせざるべからず」(明治37年8月13日時事)。

「拳闘」とは「ボクシング」だろうか。ボクシングが当時アメリカで下流のスポーツなのかどうかわからないけれど、それと同一視され、日本が野蛮な国と見られては困る、ということか。

わずか三年前に旅券発給が許可されなかった源氏山にしてみれば、常陸山の渡米には相当の立腹をしたようだ。それに源氏山は渡米にからんで協会を脱退しており、その後は不遇であったようだから、なおさらである。萬朝報(明治40年8月8日付)にこんな記事が出ている。

 

先年迄東京相撲の中に居たる源氏山は、曾て同志と共に渡米を企てしに、協会及び常陸山の為其計画を阻害され、遂に其意志を達せざりしが、今回常陸山渡米の事を聞いて太く憤慨せるものと見え、七月三日付にて北海道の出稼先より殺気に満ちたる手紙を寄越し、其の中に近日中餞別として経帷子を贈るべしとの旨を申し来りしが、爾来二旬許消息なかりしに、数日前忽然として本所区相生町常陸山宅を訪来りしも、折柄不在なりしより、一封の書を遺して返つたる由なるが、常陸山は其文中に何事が記されありしか誰にも洩さゞりしと云ふ。

 

源氏山が渡米できなかった事情をこちらでは協会と常陸山の妨害としている。このあたりも、もう少し真相を知りたいところだが、それはさておき、源氏山の心中察するに余りある。萬朝報の記事のとおりだとしたら、死装束の経帷子を餞別に贈りつけようとし(常陸山の渡米には衣装の話がついてまわるようだ)、自宅にまで押し掛けるとは穏やかでないけれど。

 

ちなみに、常陸山は無事に渡米し、時の大統領ルーズベルトの前で土俵入りを披露。相撲は「賤技」とも見なされなかったようだ。

常陸山花月楼女将との関連は次回以降で。